小平市のみなさん、住民投票に行きましょう!
元・吉野川住民投票事務局の村上稔さんより応援メッセージ

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5月26日(日)、いよいよ小平市で住民投票がおこなわれます。
これまで「どんぐりと民主主義」シンポジウムでくり返し取り上げてきた、
玉川上水脇の緑道と雑木林を貫通する 都道3・2・8 号線計画
481本もの樹木を伐採し、220戸もの住民立ち退きを迫ることになる、半世紀前の都道計画です。

今回の住民投票では、この計画を見直し住民の意思を反映させるようにしていくか、
あるいはこの都道計画をそのまま認めるか、ということが問われます。
但し、小平市の追加条例により、この住民投票は投票率50%を超えない場合は開票されません。

元・吉野川住民投票事務局(※吉野川住民投票とは)の村上稔さんより、
住民投票を応援するメッセージをいただきましたので、ぜひご覧下さい。

50%を超えるために ~吉野川の経験則より~

50%という条項について、国内で先例を認めてしまった者として少なからぬ責任のようなものを感じているのですが、今はこれを棚に上げ、「50%突破はできる」という、私たちの経験則をご紹介したいと思います。

私たちの経験則では、50%は突破することができます

私たちは、市民による直接請求が議会に否決された後、市議会選挙で自分たちが乗り込むことによって(私も乗り込みました)、議会構成を逆転し、50%条項の定められた住民投票では、それを市民の力で乗り越えることができました。私たちの住民投票の投票率は55%でした。

さらには、現職知事の逮捕や不信任などの理由で、1年半の間に3回の知事選挙を戦うという経験もしました(1,3回目敗北、2回目勝利)。

これらの経験を通して我々が知ったのは、会のみんなが市民の盛り上がりに力を尽くすことで、「3日間で10%アップすることができる」という経験則です。

例えば私が当選した市会議員選挙では、例年は50%前後のところ60%になりました。自分たちの「騒ぎ」で10%を上乗せすることができたのです。
他の選挙についても同様でした。おおよそ10%が我々の「持ち札」なのです。

つまり、小平市の住民投票の投票率が今、神さまの知るところで30%だとすると、これから努力をしても40%止まりです。これでは残念ながら開票されません。しかし今が40%だとするとどうでしょうか。あとの10%は自分たちの意志と努力にかかっているのです。

もう一度言います。私たちの経験則から言って、3日間あればあと10%アップすることは絶対に可能です。もし今45%まで行っているとすれば55%にすることができます。しかし、努力を怠れば、49%にとどまってしまうかもしれないのですから大変です。

なので、最後の日までダマされたと思ってがんばってください。
行進に参加することで「がんばっている」と思ったら大間違いです。
がんばるというのは、年賀状をひっぱり出してきて思い出した知り合いに、「投票に行こう」と電話をすることです。
同窓会名簿を探してください。今でも小平に住んでいそうな同級生に片っ端から電話をしてください。
段ボールでプラカードを作って、朝夕1時間みんなで道路脇に立ってください。時には一人で立ってください。雨の日にはカッパを着て立ってください。

小さな勇気の積み重ねが、盛り上がりを作ります。
勇気・・・小さな心理的抵抗を乗りこえる人が、一人一人と増えていくにしたがって、かつて徳島市民が経験したような、自治の興奮(私は自治の阿波踊りと言っています)を味わうことができると思います。誇りを取り戻すことができると思います(以前より小平市を好きになること請負です!)。

26日、この「まつりごと」のクライマックスに、小平市の皆さんに最高の感動が訪れることを、吉野川のほとりから祈念しています。

2013年5月17日
村上稔

^ 吉野川可動堰問題の住民投票
1999年(平成11年)12月、吉野川第十堰の可動堰化をめぐる住民投票条例が徳島市で可決されました。
「投票率が50パーセントに満たないときは開票を行わない」という条件付きでしたが、
2000年(平成12年)1月23日、住民投票が実施され、最終的に投票率は約55パーセントに達しました。
その結果、市政、県政、国政のレベルで可動堰化の白紙撤回を含む公共事業の見直しが進むことになりました。

村上稔(むらかみみのる)さんプロフィール
1966年生まれ
希望を捨てない市民政治 吉野川可動堰を止めた市民戦略』(緑風出版)著者
元・吉野川住民投票事務局、元・徳島市議